シン・ゴジラを見に行ってきたんですよ。
そうしたら、ヲタクの自分と、組織人としての自分と、ファシリテーターとしての自分と、イノベーターになりたい自分と、やっぱりヲタクの自分が口々に感想を言ってて人核分裂でえらいこっちゃ!…になったので、その勢いのままに記載しています。
何がえらいこっちゃなのかと大まかに言うと、
という三人が交互に叫んでます。
特に一人目がうるさいです。
そして最終的に「私たちはゴジラに勝てるか」と悶々としておるのです。
何を言っているのかよくわからないと思いますが、そのよくわからなさもシン・ゴジラ体験かと思うので、とりあえず巻き込まれてみてください。
…と言いつつ、以下、ネタバレ含んだ叫びが続きますので、未見の方はご注意ください。
もしくはこちらで予習しておいてください。
目次
世界に起こることに情も論理もない、ただ自分の想いはあるんだ!
ちょっと順を変えて、まずこれから。
未曾有の天災の暗喩として描かれるゴジラの存在。
それは人が頭で考えることやこうであってほしいと思うことと関係なく、ただ不気味に歩み続けます。
ただ不条理な災厄。
不条理に「どうしてこんなことになってしまったのか」と怒りや嘆きをぶつけても、何も変わりません。
劇中でも「まず君が落ち着け」とあったように。
状況は変えられず、コントロールできるのは自分だけ。
自分の想いを、どこに基軸に置くか。その上でどう判断し、行動するか。
劇中では矢口さんを中心に、沢山の人が自分の判断で行動していく様子が描かれていたと思います。
この構図は、大なり小なり世界中で日々起こっていることだと思います。
突然の事故や病気といったことから、上司に梯子をはずさた…なんてことまで、日々世界で起こっている不条理なこと。
そこで歩き続けるために、状況に飲まれずに自分の判断ができるように、自分の本当に大切にしたい想いをよく知っておくことが重要だな…と感じるわけです。
心の声をすぐに聴くことができるように、普段から自分とコミュニケーションしておかないと。
というので、マインドフルネスとかにつながってきますね。
情報を与えられたうえで自分で判断した個人の集団=チームの強さ!そこにしびれる、あこがれる!
自分で判断するために、という軸では最後の作戦前の矢口の演説が心に残ります。
作戦の危険性、リスクも丁寧に説明したうえで、それでも力を貸してほしいと頭を下げる。
ここで合意した人だけが残ったチームだから、作戦遂行時の意思決定はぶれません。
この最後の作戦だけでなく、巨災対では「オープンな情報コントロール」が繰り返し描かれます。
個人プレーのはみ出し者で構成されたホラクラシー組織でがオープンイノベーションを起こしたストーリー、というとビジネス番組みたいですね。
ホラクラシー組織を機能させるため(巨災対がチームとして機能発揮するため)はもちろん、そのタスクフォースの効果を最大化するために行われた既存の階層組織との情報のやり取りも興味深い。
ですが、やはりファシリテーターとして心に残ったのは、十分に情報を与えられて選んだ人間が構成するチームの強さです。
一方で、もちろん、大多数の国民には公式情報は与えられません。
けれどインターネットを通じて漏れ聞こえる情報で不安がつのる中、疎開を余儀なくされる。
とても恐ろしい、けれど大なり小なり、実際に起こっていることでもあります。
最初に情報を得られる立場にいること、そしてそれをオープンに管理する組織運営。
それが自分にできるだろうか?と考えて、握りこぶしを作ってしまうわけです。
いや、ゴジラはいないんだけどね。
庵野の才能に負けた、悔しい!
で、色々考えている末に思うのがこれ。
全編にわたって、庵野さんが「好きにした」感がある。
ゴジラが不気味に進行していく姿を見るねっとりした緊張感の中にも、自衛隊の激戦の中にも、映画に引き込まれるのと並行してメタ的に庵野さんが「やりたいようにやった」感がスクリーン外に見える気がする。
それに対して、なぜか「負けた」「悔しい」と思う自分がいるんですよね。
別に私はクリエイターでも何でもないのですが。。。
でも、ビジネスや社会活動で価値を作りたい、と思っていても何も作れていない自分にとって、これだけ好きやってこれだけ心をざわつかせる、シンプルに「すごい」作品=価値を作った庵野さんに、悔しさを感じてしまいます。
特にエンドロールに流れるたくさんの関係者の名前、そして何度も出てくる(それだけ好きにやった)庵野さんの名前を見ていると、震えるくらいに心がざわつきます。
たかだか辺境のプロジェクト立ち上げ屋がざわつくんだから、同じクリエイターの人のざわつきたるや。。。
というわけで、ウラシマモトの本、めっちゃ気になる((+_+))
私たちはゴジラに勝てるか
もう一つ、悔しい…というかもやっとすること。
それは、「ここまでスクラップされなければ、日本は立ち上がれないのだろうか?」ということ。
いや、そもそも「本当に我々はゴジラに勝てるんだろうか?」ということ。
上で述べてきたようなミクロな事象も含めて、私たちはゴジラと付き合っていかなければなりません。
そんなゴジラたちに我々は勝つことができるのだろうか?
劇中では、一人ひとりの知恵を重ねて、皆がそれぞれの立場で出来ることを重ねて、大きな成果を得ました。
でも、それを描いているのは庵野さんが「好きにした」才能なわけで。感動のチームワークを描いているのは、庵野の個人の才能ではないか?というところにパラドックスを感じるのです。
本当にチームはゴジラを倒すだけの力を発揮することができるのだろうか?
庵野さん個人の才能、ある意味それ自体がゴジラで、それに対してチームは本当に勝てるんだろうか?…というメタメタで訳が分からないモヤモヤに苛まれています。
もちろん、エンドロールにたくさんの名前が並ぶ通り、決して庵野さん一人で作った価値ではなく、この作品自体チームの力だとは思うのですが、あまりも私がヲタクとして感じる「庵野にやられた」感が強すぎて、ファシリテーターとしてチームを信じる心が勝ちきれない。。。
そして、なんとなくですが、庵野さん自身は日本の力を信じていないんじゃないだろうか?というのも、ファシリテーターの私が勝ちきれない理由。
引っ張られている気がします。
劇中で「危機は日本すら成長させる」とあるように、あくまで、あそこまで破壊されて初めて立ち直れる…かもしれないね、というのが庵野さんの日本への信頼なんじゃないかな、と。
日本の力に対しても「空想科学」の映画であるよう感じています。
でも、私はやはり、空想じゃなく、日本はゴジラを倒すチーム力を引き出せるのだと言いたいのです。
ゴジラがいない、今からでもビルドできるのだと。
…と、ファシリテーターの私がヲタクな私に宣言して二人が泣きながら喧嘩している今日この頃。
庵野さんは大変なものを残していきました(*_*;
うーん、やっぱり悔しい!